ホニャまるの備忘録

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小説「白夜行」を読んだ

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東野圭吾の傑作「白夜行」を初めて読んだ。

※ネタバレ含みます。考察もなんもない。ただ感想を垂れ流すだけ。

 

ざっくりあらすじ→

19年前、ある殺人事件が起きた。その被害者の息子(リョウジ)と容疑者の娘(ユキホ)の絆の物語。
解決までの19年を描いた長編ミステリー。

 

感想→

私は読了して最初驚いた。ドラマ版をなんとなく知っていたから、綾瀬はるか演じるユキホと山田孝之演じるリョウジのダブル主人公でその2人の会話や行動の描写が原作ではどんな風に展開されているのか期待して読み始めたのだが、800ページを超える長編のどこの一行にも2人が出会ったシーンや会話した描写がなかったからだ。会話どころか彼ら2人の心情を描いた場面さえなかった。だが不思議なことに読み終わった私はこの2人の固く決して切れない絆を感じていた。

 

この作品は書かずして描いていることがとても多い。(東野圭吾がそういう作風なのかは読書不足ゆえ知らないが)特に心理描写が極端に少ないと感じた。事実だけを淡々と語り、とてつもなく遠い場所から彼らを見つめているようだった。しかしそれがかえって読者の妄想が入り込む余地を与え、その瞬間登場人物たちの気持ちがとてつもなく迫ってくるのだった。

 

往々にしてこうしたダブル主人公ものは月と太陽のような関係をとることが多いが、この作品はどちらも太陽として描かれている。ニセモノの太陽として。

 

先ほど「彼ら2人の心情を描いた場面はなかった」と書いたがこれは少し嘘である。
厳密に言うと2人が一度だけ自分の気持ちを口にするシーンがある。その話がタイトルにもある白夜の話なのである。
〜自分の人生はまるで夜、だけどいつも太陽がいてくれた。だから夜も昼だと思って生きていくことができた〜
そんな風に話していた。

 

ドラマ版での刑事の台詞にこんなのがある。
「一度悪いことをしたら、二度とお天道様の下を歩けなくなるぞ」

 

自分が今歩いているのは昼なのか夜なのか分からなくなってしまっても、ただニセモノの太陽の下彼らは歩き続けるしかないのである。